滑川市
滑川館
富山県滑川市神家町288-1
電話 076-475-0354

滑川館の前景

滑川館の夕景

滑川館の入口

 旧滑川宿は北陸街道の宿場町として発展し、街道沿いに形成された町で、物資集散地として発展し、穀倉地帯の後背農村の物資流通・集積と街道の宿場町として橋場を中心として発展した。大町を中心とした宿方や商家が集まり、西側には物資の船積み及び漁業などの浦方が集住していた。
滑川売薬は漁師の冬場の副業として始められたもので、文化10年(1813)には37軒の売薬関連の商売屋があったそうで、以来町の主産業として現代まで続いている。
滑川館の前身の土肥旅館は、そんな滑川宿の西端の現在の横町で旅籠屋を営んでいた。旅人宿の営業許可証が明治18年とあるので、それより以前の江戸期から旅籠宿を経営されていたのかも知れない。その後、樺太売薬に転じて財をなしたが、第2次大戦の敗戦で樺太での売薬が出来なくなり、昭和21年から現在の地で再び滑川館という名で旅館業を始めた。
建物は明治20年に、この地の有力者だった加藤甚右衛門が邸宅として建てたもので、昭和15年に土肥家が買い取ったものが、今、滑川館の母屋・藏・道具藏として国の登録有形文化財に登録されている。
玄関入口を開けて声を掛けるが、ふと上を見ると大きな建物の構造材が剥き出しに見える。普通は囲炉裏のために真っ黒なのだが、滑川館の場合は茶色く木部が経年変化した色をしている。この建物では囲炉裏が使われていなかったのだろう。
愛想の良い女将に案内され、階段を上がるが江戸期の建物同様に階段の勾配が随分急勾配だ。部屋は母屋で表の道から反対側の2階、中庭に面した部屋だった。予約時に表側の部屋と希望したが、客室として使ってないのでと断られ、裏側でも床の間あるの部屋と希望したが、改造してもう床の間のある部屋は客室として使ってないとのこと。通された部屋は天井の高い古風な感じの部屋で十分満足した。
泊った部屋から見る中庭の景色も良く、下に降りて庭を歩いてみたら結構広い。確か滑川館の間口は広くなかったがと不思議に思って女将に尋ねると、母屋の間口は9m程だが、左側の空地4m程、右側の空地5mほど、更にその右側の駐車場6m程が全て土肥家滑川館の敷地の間口とのこと、成るほど奥が広い訳だ。
食事した部屋は一階の泊っている部屋の真下。庭に面して床の間付二間続きの立派な部屋だった。朝食後に再び女将に庭を案内してもらった。登録有形文化財の土蔵の前には部屋が増築されていた。(もう一棟登録有形文化財に登録された道具藏は気付かず見ず終いだった)
宿は女将とご主人で運営されているが、跡取が無いと嘆いておられたが、子どもさんが敷地内の新築の家に住んで居られるので、その気になれば何時でも旅館業を継げる状態のようだった。
(2019.4.8宿泊)

泊った部屋

泊った部屋

泊った部屋から見た庭

泊った部屋の隣の部屋

食事した部屋

食事した部屋の廊下

本館奥の階段

ロビーの部分

ロビーの天井(建物構造材)

ロビーより玄関入口を見る

本館の前の階段

食事した部屋の欄間

庭の奥にある登録有形文化財の土蔵ですが、手前に部屋が造られている
 
旅館営業免許 明治18年の期日が

明治20年の期日が!!

土肥旅館当時の写真 昭和10年
 

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