富山市八尾町
宮田旅館
富山県富山市八尾町西町2267
電話 076-544-2011

宮田旅館前景

宮田旅館夕景

入口玄関の形式だが、今は隣の小さい入口が出入り口になっていた

  おわら風の盆の富山市八尾町の宮田旅館に泊った。尾根筋に開けた町。
八尾の町は聞名寺の門前町として始まった。寛永8年(1631)井田川の洪水により家や耕地を失った八尾村の人々が、聞名寺のある高台に移住してきて、寛永13年(1636)東町・西町が成立し、次いで今町が町立てされた。そして寛政10年(1798)に天満町が出来るまで、町が次々に成立した。
蚕種・生糸・和紙の取引は活発で、八尾の商人は蚕種商・紙商を中心として有力商人が多くいた。
元禄4年(1691)家数362軒・人数1842人。慶応4年(1868)の家数1244軒・人数5226人である。
坂の町八尾と云われているが、坂というより絶壁の上の町のようで、北側は井田川に削られた石垣の絶壁。南側にも別荘川の深い谷がある細長い高台上の町である。
八尾町を有名にしている「おわら風の盆」は、元禄15年(1702)から始まったもので、近時は全国的にも知られる盆踊りになり、全国からの観光客が押し寄せている。
町並は西町・今町・下新町・西町・上新町・諏訪町などに展開していて、切り妻の出桁造り、中二階建て又は二階建て、屋根は今は瓦か鉄板になっているが、かっては石置き板張りの屋根であった。
今回宿泊した宮田旅館は西町の古い伝統的な様式の家屋が建ち並ぶ町並の中にあった。1700年代に建築された建物は旅籠宿そのものだが、内部は木造を上手く生かして今風に改造改修されていれ、不便を感じない造りや設備になっていた。
只、旅籠時代の入口、建物正面左端の大きい土間と広い上がり框の部屋から出入りするのでなく、建物正面中央に小さな出入り口が設けられ、そこからの出入りであった。
聞かなかったが、「おわら風の盆」の時には、多くの観光客が八尾を訪ね暑い時だから、その土間で喫茶店を開くように、土間に椅子とテーブルが設置されていて、何時でも喫茶店開業と云う状態だった。
土間の上は吹き抜けで、建物の骨組みが良く見えるようになっていて、更に上は明り取りの天窓で屋根に透明なガラスが設置されていた。
ご主人が接客の担当、女将が料理担当をされているようで、泊った部屋は街道筋に面した部屋と指定して泊まったが、食事場所は泊まった部屋の下の一階の街道に面した部屋でした。
聞くところによると、女優のわはは本舗の柴田理恵さんのお母さんの実家とのことは有名だそうです。
(2015.6.14宿泊)

街道筋に面したところと指定して泊まった部屋

玄関入口の上部の骨組

客室

客室から見た中庭

客室

街道筋に面した部屋から見た看板

階段が箱階段様になっていた。暗くて簡単に摂れなかった

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