妻籠宿
松代屋
長野県木曽郡南木曽町吾妻807
電話 0264-57-3022

松代屋の正面

松代屋の夕景
 
松代屋の玄関入口 

  長野県木曽郡南木曽町吾妻の旧中山道妻籠宿は何回訪ねただろうか。最初に訪ねたのは平成元年(1989)年のことだった。それから機会あるごとに訪ね、今回の訪問で5回目の訪問になる。
妻籠は日本の町並み保存運動の原点となったところで、昭和43年、住民たちは「妻籠を愛する会」を組織し、同46年には「妻籠宿を守る住民憲章」を定め、町並み保存を全てに優先させるため、「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を貫くことを宣言した。そして昭和51年(1976)に妻籠は角館、白川郷等の7ヶ所とともに初の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定された。
最初に訪ねたときでも、重伝建に選定されてから7年経過していたが、町並整備は殆どされてなくて、随分生活感のある見事な町並だと思った。その後訪ねるたびに綺麗に整備され、何時の頃からか本陣まで再現されていた。
今回宿泊した松代屋は妻籠宿の枡形の部分で、公開されている下嵯峨屋の隣にある旅籠宿である。江戸期には木賃宿だったそうで、街道に面して私が泊った中2階建ての部分は約200年程前、2階建て部分と奥の離れ座敷は150~160年程前の建築と思われると、宿のご主人が話して居られた。古くは板葺き石置きの屋根だったのだろうが、今は全て鉄板葺きになっていた。
街道に面した一番古い建物の1階軒下の部分に、講中札が多く掲げられている。御嶽講のまねき板で、中山道の宿場町として機能していた以外に、御嶽山参詣者の宿としても賑わっていたのだろう。
宿泊した部屋や設備は江戸期のままと云う訳に行かず、トイレ、風呂、洗面所などは今風に改造されていて、襖は昔のままですが、窓は格子の内側に目立たないようにアルミサッシが備えられていて、冷暖房の効果が出るようになっていた。
宿はご主人一人で切り盛りされているようで、宿泊当日の宿泊客は男が私一人、女性は二人連れの外国人一組と日本人の二人連れ一組の合計5人の宿泊客だった。
テレビも電話も時計もない江戸期のままの部屋で、時間を持て余して退屈しのぎに、宿泊者のコメントが書かれたノートを見ていると、約半数の宿泊者が外国人のようで横文字が並んでいた。
日中に妻籠宿を歩く観光客の中で中国や台湾、韓国からの方々が多いが、この宿に泊るのは、横文字の国の人達のようだった。
夜中に玄関に掛けられた柱時計のボンボンと時刻を告げる音が館内に響き渡る。気持ち悪いと訴える外国人も居られるが、止めるわけにもいかずと宿の主人が。でも、この時計を修理するのが大変で、簡単に時計職人が見つからない状態になってしまったと嘆いて居られた。
(2015.4.9宿泊)

松代屋に揚がっていた御嶽講の講中看板

母屋建物から離座敷に続く渡り廊下

松代屋辺りの光景

街道沿い室内から見た格子

松代屋近くの夕景

松代屋前の夜景、散歩に出ると云うと宿の主人が提灯を貸してくれたので、
松代屋前の石垣に突き刺して提灯を入れて撮った光景

母屋の一番よい部屋の床の間。今は食事場所として使われていた。

街道に面した部屋から見た千本格子

母屋の階段

昔は納戸として使用されていた部屋だが、今は客室になっていて、天窓からの明かりが室内を
明るくしていた。

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