ときがわ町 | ||
町田屋旅館 | ||
埼玉県ときがわ町玉川1482-1 電話 0493-65-0271 |
町田屋旅館の前景 |
夕景 |
入口土間 |
ときがわ町の町田屋旅館は、ときがわ町役場(旧玉川村役場)の近く、明治43年創業の老舗旅館である。旧玉川村役場の近くといい、明治末期の土地の集積が盛んだったころというので、この地で富を得た商人や地主の方々の遊交の場としての創業だったと思われる。 町田屋旅館のあるときがわ町は比較的公共交通機関に恵まれなく、八高線明覚駅から歩こうか、東武武蔵嵐山駅から町のコミュニティバスにしようかと迷った末、電車の運転本数の多い後者を選んだ。 旅館に着き、声を掛けるために玄関扉を開いて驚いた。広縁の上り口が土間の周りに廻されている。まるで江戸期の講中の方々を受け入れるための旅籠屋そのものでないか。通された部屋も床間のある二間続きの大きな部屋で、表の庭越しに道に面している。女将に頼んで他の部屋も見せて頂いた。中でも一番良いと思われる部屋は、入口入って左側の格子付の障子のある部屋の奥の部屋で食事した部屋だと思う。書院は無かったが、違い棚が備わっていた。部屋でないが見栄えするのが入口奥にある2階への急勾配の階段と揚がったところの広間に再現されていた昔の帳場風景。五ッ玉の算盤も置かれていた。他に入口入って右側の応接のための部屋の長火鉢の上には彫刻が施された見事な硯石が置かれていた。 この町田屋旅館の特徴は、創業時のままの部屋を保たれていることと思う。そのために部屋に鍵が備わっていないという欠点もあるが、私にとっては理想的と思える古い旅館であった。尚、風呂・トイレ・洗面所は最新のものが入っていたのも好感が持てた宿であった。古さを残し必要なものは新しくする意識は良いのだが、プライバシー問題の鍵の件はどの程度妥協するか、宿泊者の意識の問題を宿側がどう判断するか。 今この旅館は3代目という女将一人で切り盛りされているようで、イケメンのご主人はサラリーマンとのことで、旅館業をするのは休日とのことだった。初代創業者町田東崗氏は福島県の二本松藩5代藩主丹羽高寛公の末裔とのこと。旅館業のかたわらバス会社(西平自動車商会)を興しバスを運行させていたようです。 宿泊した当日、近所の方々の会合でしょうか、多くの方がこの町田屋旅館の応接用の部屋で、話し合われていて、町に方々から頼りにされている旅館なんだなあと思った。 この町田屋旅館のように、水廻りの改装だけで、古い伝統を残した旅館がもっと多く見つかればと願いながら女将に見送られ、また、満足した宿泊であったことを感謝しながら宿をあとにした。 余談ですが、前庭のサルスベリの巨木は見事なものでした。赤色か白色かどちらにしろても見事な花が咲くでしょうね。 (2019.1.17宿泊) |
泊った部屋 |
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土間右側の応接用の部屋 |
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食事室 一番意匠の込んだ部屋と思う |
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他の客室 |
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他の客室 |
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玄関土間を内側から見る |
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玄関奥の階段 |
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階段を登ったところ 帳場が再現されていた |
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道路からみた町田屋旅館 右側の巨大なサルスベリにびっくり |
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土間左側の部屋の千本格子の障子 |
土間左側の部屋の千本格子の障子 |
土間左側の部屋の千本格子の障子の内側 |
入口の飾り |
応接用の部屋にあった長火鉢、 右上に置かれた硯が見事 |
応接用の部屋から見た景色 |
ガラス障子の意匠が見事 |
正面の2階の廊下 |
客室の障子 |
夕景 |
五つ玉のそろばんが置かれている |
再現された帳場の火鉢、この火鉢は桐の樹 をくり抜き内側を銅板加工したもの |
泊った部屋のテレビ台 何と碁盤だった |
2階への階段をあがったところ |
入口玄関の右側、昭和初期のバス発着書の看板 |
当家初代がバス会社を創業する。バックの建物は 町田屋旅館の今の建物。当時は門が無かった。 |
入口左側の箱階段 |
玄関の看板 |
応接間からみた入口の門 |
旅館の正面ですが、大きな樹は百日紅 |