田沢温泉
ますや旅館
長野県小県郡青木村田沢温泉
 電話 0268-49-2001

入口部分前景

入口部分夕景

玄関入口

  2年から3年越しの懸案だった田沢温泉「ますや旅館」に来ることができた。予約時にダメで元々との思いで「藤村の間」に一人で泊れないかと言うと、いいですよとの返事。やったー!!と嬉しかったです。
上田駅から青木までバスの便は比較的多いが、青木から田沢温泉までの村営バスの便がうまく合わない。それじゃと長野駅前からレンタカーで「ますや旅館」にやってきた。温泉街に入る手前から、道は細くなるが石畳みのしっとりした情緒ある道。その道路に被さるように木造3階建ての旅館が建っているのが「ますや旅館の」建物。
車を旅館前の小さな駐車スペースに置いて、玄関から声をかけるとご主人が出てこられた。11代目のご主人で、部屋に案内願ったのは11代目の女将。ロビー奥右側の階段を一つ上がった東館の2階部分と思ったが、実際は3階であった「藤村の間」。
この「ますや旅館」の創業は明治元年で、東館と土蔵はその当時の建築のままで、西館・本館は明治の中期、新館は明治の末期建築とのことだが、明治初期のスケッチを下に掲載しているが、明治中期から末期にかけて大きく変貌したことが判る。登録有形文化財に指定されているのは土蔵を含んで6棟を数え、客室棟は本館・西館・東館・新館の4棟ですが、宿泊当日電気が点いていたのは東館と新館だった。
泊った東館「藤村の間」は2方が開けた二間続きの角部屋で、床の間・小さな書院も備わり、島崎藤村が滞在した当時の雰囲気はそのまま残っていると思った。また、古い旅館にしては珍しくトイレも備わっていたが、当然後付けのものだった。
藤村が滞在したのは、明治32年8月で、小諸塾で教鞭をとって2年目、「千曲川のスケッチ」の中で山国らしい静かな温泉として紹介している。
玄関は別棟になっていて、入母屋造りの破風を持つ玄関で、その奥のロビーには、大きな丸い柱が2本あり周りを威圧している。その周囲には囲炉裏を始めとして時計や写真など、時代を感じさせる調度品が多く置かれていた。玄関を入ったロビーは木造3階建て本館の一部で、本館の左手奥には西館が、右手には東館。階段を上って奥に進むと新館が建っている。新館に入る手前右側の廊下を進むと、土蔵の外壁があったり、宴会棟があり、更に進むと浴場がある。浴室は旅館の規模にしては小さく内湯と露天風呂がガラス一枚で隔てられていた。源泉は38℃~40℃、源泉掛け流しで、ぬるめの温泉で単純硫黄泉であった。
本館ロビーから奥に向かう階段、右手に折れて浴場に向かう廊下などは湯治場だったころの面影が色濃く残る素晴らしい光景を展開している。
食事は本館奥の別室で頂くが、接待をしてくれたのはご主人の次男坊ということであった。12代目と問うと、次男だからと言ったが。
翌朝ご主人と話すと、兎も角、人手が集まらなくて、客室数は多いが宿泊客を制限しているそうで、家族で出来る範囲でやっているとのこと。そういえば「ますや旅館」のホームページの終わりには従業員募集とあった。
翌朝、チェックアウト時には大女将の姿も見られた。旅館を出るときは雨だったので、折り畳み傘を出そうとすると、女将が傘を仕舞うのは大変だから、この傘で駐車場までと旅館の傘を差出し、車まで送ってくれたのにはびっくりした。何という気遣い。これぞ客商売と思い、感謝 感謝で宿を後にした。
(2019.10.21宿泊)  

泊った部屋 東館の藤村の間

泊った部屋 東館の藤村の間

泊った部屋 東館の藤村の間

泊った部屋 東館の藤村の間

新館54号室

ロビーから入口を見る

玄関部分

東館を外から見る 最上階が藤村の間

玄関から見た本館 左に僅かに西館が見える

階段

階段に電気が点くと

浴場に行く廊下から見た光景 右から新館・本館・東館

東館から見た新館、左手前に少し見えるのは本館

東館の夕景

玄関の夕景

新館の夜景 右に続く建物は浴場に続く廊下

東館から見た光景 手前の屋根は入口部分、右の建物が本館、その奥の正面の建物が西館

明治初期のますや旅館、 土蔵と東館は今でも当時と同じ姿

藤村の間への階段

島崎藤村の子供の島崎楠造氏の書

藤村の間の釘隠し

階段と廊下

階段の手摺

浴室への廊下

浴室への廊下、奥の土蔵の外側2階部分を通る

東館から見た新館

旅館前面の土蔵と東館

階段と廊下

階段と廊下

藤村の間より見た景色

藤村の間を出た所から、本館の客室の一部が見える

浴場と露天風呂

浴場への廊下

階段の手摺

新館54号室の書院

新館54号室の書院の意匠

新館54号室の欄間

新館53号室から見た本館と東館

新館57号室から見た本館(手前)と東館(奥)
 
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