松本市 | ||
まるも旅館 | ||
長野県松本市中央3-3-10 電話 0263-32-0115 |
まるも旅館の外観 |
まるも旅館の夕景 |
まるも旅館の入口玄関 |
松本市は古くから城下町・商都として栄えてきた。女鳥羽川の大手橋(現千歳橋)より北が武家屋敷、南が町人町であった。交通の要衝地でもあり、善光寺街道(北國西脇往還)が南北通りの本町、東西の通りの中町を通り、本陣・脇本陣・問屋などが軒を並べ、松本城下の経済活動の中心地であった。 明治に入ってからも、中町・本町はこの地域の商品流通を担う町として栄え、大店が軒を並べ、道の両側には白壁や黒壁の土蔵造りの商家建物や洋館が並んでいた。 でも、モータリゼーションの影響で中町・本町から大きな問屋などが郊外に移転して、町は寂れてきた。そこで近年区画整理事業で町並みを修復し、電柱の地中化や黒壁・白壁・ナマコ壁の修復事業を行い、町並みの活性化や観光に力を入れている。 そんな中町の一角に「まるも旅館」「珈琲店まるも」がある。新田茂八郎と妻みなが旅籠を始めたのは慶応4年(1868)と云うから、もう150年程前になる。旅館の名前は茂八郎の「も」をとって「まるも」と名付けたそうだ 現在の建物は明治21年の松本大火の直後に建築されたもので、昭和31年に旅館の一部を改造して喫茶店を始め、大きく改装することなく当時のままの姿で今に引き継がれている。 女鳥羽川に面した白漆喰塗りの2階建て建物、入口を挟んだ3階建ての建物、更にその奥に建つ建物は同時に建築されたもの。旅館建物の中心部に一番よい客室があり、女将が何気なしに乃木将軍も泊っておられますと仰っていた。 通された部屋は「珈琲店まるも」の真上にある角部屋で、窓を開けると女音羽川越に松本城方面が見られたが、何せ2階部分、松本城は見えなかった。 建物は玄関横から上がる階段廻りの複雑な構造や凝った意匠は見事なものと思う。 旅館の建物の構造は大変複雑で、廊下などもまるで迷路の様だった。それも改造によって複雑になったのでなく、最初からそのように設計されて建築されたようだった。当然風呂や洗面所・トイレなどは今風に改造されていたが、その他の部分は修理はされているが改造は極力控えられている様子が見てとれる。 でも、泊った部屋の窓は4層構造に改造されていたのには驚いた。寒さ対策なのか防音対策なのかは聞き忘れたが、一番外側は擦りガラスのガラス戸、次いでアルミサッシのガラス窓が2重に、そして一番室内側は障子が備えられていた。 女将によると、喫茶店を開いた祖父の新田貞雄さんは音楽が好きで、多くのレコードを集めていたので、それを松本の方や信州大学の学生さんに聴いてもらうために開いたとのことだった。「まるも旅館」の玄関に木製のオルガンが置かれているのも、音楽との関わりを表すためのものだろう。 私が泊った当日の宿泊客は9名で、外国人の宿泊者が多いように思った。 この旅館は夕食は出ないが、朝食はできるとのことで頼んだが、朝食を食べたのは私一人で、女将もこんなことは珍しいとのことだった。 (2015.8.25宿泊) |
入口玄関部分から2階への階段 |
階段を上った2階の光景 3階への階段も見える |
階段 |
外から見た玄関部分、右側の明かりは喫茶店の明かり |
藏通りの中通り夜景 |
泊った部屋、角部屋で丁度喫茶店の真上 |
食堂越に中庭を見る |
乃木将軍が泊った部屋 |
「珈琲店まるも」の内部 |
喫茶店を開業した新田貞雄氏の掲載された書籍 |