栃木市 | ||
かな半旅館 | ||
栃木県栃木市万町5-2 電話 0282-22-0195 |
かな半旅館の正面 |
かな半旅館の夕景 |
かな半旅館の入口部分(左側は食堂入口、右側の奥が旅館部のフロント) |
かな半旅館は栃木市の中心部にある。 栃木は巴波川舟運により江戸と繋がり,背後地の日光・足尾・南会津方面の物資の集散地として、又、例幣使街道の宿場町として発達した町で、今は蔵の街として知られている。 町の中央を例幣使街道が南北に通り、上町(現万町)・中町(現倭町)・下町(現室町)の三町を中心に5~6間の道路の両側に家並みが続いていた。そんな中で「かな半旅館」は安永年間(1772~1781)に栃木の中心部で旅籠宿として誕生し、以後二百数十年に亘り連綿と続いてきている旅館である。 宿に着き入口の扉を開けるも開かない。右側に暖簾がかかっていて、通路が奥に奥にと続いている。「こんにちわ」と声をかけながら奥に奥に進むと、フロントらしきものが現れ、その奥の調理場から大女将が現れ、更に通路を奥に奥に進んで部屋に案内された。部屋は新しくビジネス客用の2階の部屋で、入口部分に風呂・洗面・トイレとセットになったユニットバスが設置されている部屋だった。 大女将に古い様式の部屋があるそうですがと問いかけると、泊まった建物の通路を挟んで反対側の平屋の建物に案内してくれた。大正7年に陸軍大演習の際に、士官を泊めるために建てられた建物で、この旅館では一番古い建物だそうだ。縁側には長い見事な軒桁が、かって欄間だったところには黒柿の板が備わっていたが、敷地の幅が狭いので、部屋から見える庭は狭かった。最初からこの古い部屋に泊めてと、強引にでも頼んでおけばよかった後悔。 この「かな半旅館」は表間口7m・奥行き70m・奥間口13m程で「ウナギの寝床」のように奥に長く続く。 一本の通路が奥まで通じその両側に、いろんな時代に建てられた建物が並ぶ。客室や調理場、土蔵や経営者の住居・物置など、建物の中が通路になっている所も。殆どのことろは2階建てだから、通路から見ている限り複雑な構造ではっきりと判らない。 部屋にあるユニットバスでシャワー程度なら済ませそうだが、早く着いたものだから、明るい綺麗な風呂にゆっくりと入った。 案内してくれたのは9代目の大女将だが、夕食などの世話を願ったのは10代目の明るい女将だった。 夕食の間、明るく話に付き合ってもらい感謝・感謝の夕食だった。 (2017.4.18宿泊) |
大正期の建てられた建物の部屋 |
大正期の建てられた建物の部屋 |
大正期の建てられた建物の廊下 |
大正期の建てられた建物の長い長い軒桁 |
大正期の建てられた建物の欄間部分だったが、黒柿の板を残して壁に!! |
大正期に建てられた建物の旧入口部分 |
中の通路にある土蔵の窓 |
長く続く通路 |
通路の両側にいろいろな建物が並ぶ |
通路に置かれていた消火器?? |