中津川市
亀利屋旅館
岐阜県中津川市付知町本町5752-3
電話 0573-82-2151

亀利屋旅館の前面

亀利屋旅館の夕景

亀利屋旅館の入口

 裏木曽ヒノキの特産地として名高く、江戸期は伊勢神宮造営備林地でもあった付知村には、それらに携わる人々が多く暮らしていた所であったが、明治期に入り御嶽山への新道が開発され、御嶽参詣者の列があとを絶たず、付知村は宿場町に似た様相を呈していた。
明治41年の付知村統計表によると、旅人宿28軒・料理屋27軒・飲食店30軒となっており、山村として当時の盛況ぶりを知ることができる。
明治期に賑わった名残を色濃く残して平入・切妻造り・中2階建て・2階建ての伝統的な様式で建てられた大型の家屋が点在する町並みの中に今回訪ねた「亀利屋旅館」がある。
明治年間創業の主屋が中2階建ての旅館で、付知村が賑わっていた頃の創業と思われる。
「亀利屋旅館」に着いて、明るいうちに館内の写真を撮り、次のバスで付知町の上の「付知峡倉屋温泉」近くまで行って、そこから40分ほどかけて写真を撮りながら下り、宿に着く予定を立てていたが、JR中央本線で人身事故があったようで、列車は多治見駅で止まったまま約1時間少々経過してしまった。
宿に着いてそのことを女将さんに話すと、それじゃ送ってあげましょうと、気安く目的の所まで送ってくれた。感謝 感謝。
旅館は玄関土間から奥に真っすぐに伸びた廊下の突き当り手前の平屋建ての「こぶしの間」で希望通りの部屋だった。大正初めに建てられた建物。突き当りの建物は2階建てで昭和の建物と仰っていた。
旅籠宿に泊る場合は、玄関を入って一番に見るのは、入口土間の天井で骨組が見える場合が多いのですが、この「亀利屋」さんは天井に板が貼られていて低い天井、そして廊下の天井も低い。江戸期や明治期の建物そのものであった。当然鴨居はそれ以上低くなるので背の高い方なら頭を下げて歩かねばならない。泊った部屋に入ると、天井が高く寄棟の建物を内側から見ているような天井で、床柱や天井材も「こぶし」の樹が使われていた。
この平屋建ての棟には他に「竹の間」「さくらの間」があり、床柱や天井材などにそれぞれ「竹」や「さくら」が使われた特徴ある意匠の部屋が続いていた。
街道に面した正面の棟は明治創業時の建物だが、今は殆ど客室として使ってないとのこと。
創業から今で4代目で、宿は女将一人で切り盛りされているようだった。3代目のご主人も健在だそうで、今年で100歳と仰っていたが顔を見ることなかった。
夕食時にご主人と多く話したが、この旅館も私の代で終いでしょう。息子は中津川に住んでいるが後を継いでくれそうにない。泊った部屋の壁が緑色なのは、ご主人好みの色で、この色にして3代目の親父から叱られた。街道に面した建物は建築当時は石置きの屋根だったそうだが、何時か瓦屋根に替えられたようだとの話だった。
(2017.7.10宿泊)

泊まった部屋 こぶしの間

泊まった部屋の天井 床柱などこぶしの樹で造られていた

泊まった部屋の天井

棟続きの「さくらの間」、桜の樹で床柱も天井もできている

さくらの間の天井

竹の間の天井

明治の建物の廊下

廊下の天井 杉皮だった。

廊下から見た中庭

食事した部屋にあった大きな柱時計、正確に動いていた

入口部分ですが明治の建物らしく天井が低い、梁も低く頭を打ちそう??

亀利屋旅館の側面
 
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