垂井宿
旅館亀丸屋
岐阜県垂井町1199
 電話 0584-22-0209

亀丸屋主屋全景

中山道が突き当たる場所の2階から街道を見る
 
亀丸屋の主屋の夜景

  江戸期から続く中山道垂井宿の旅籠亀丸屋は、中山道が鍵型に折れ曲がった所に江戸期のままの姿で建っている。建物は安永6年(1777)に建てられたと云われている。
明治24年(1891)の美濃・尾張を襲った濃尾地震によって、倒壊は免れたが随分痛んだようで、柱の歪や鴨居の下がり具合など当時のままであるとの説明。
主屋の2階は下級武士や商人用、別棟は上級武士用として利用されていたようで、私の宿泊時には最上級武士の泊まる部屋に案内して頂いた。上段の間と云われているが上段になっていないので、床下が二重になっていたのか、明治に入り取り払ったのか聞きそびれた。
床の間には明治期の掛け軸が3服、その前には菊花石がデンと置かれていた。
違い棚の下には刀置きの台まで、江戸期そのままに置かれていた。
隣の部屋に泊り客が居なかったので、こっそりと襖を開けて見ると、やはり床の間や刀置きの台も置かれていた。
主屋2階の一番奥まった部屋には隠し階段があり、ことがあるときここから武士を逃がしたとの説明。その横の窓は鉄砲を打つための窓とのことだった。また、階段の手摺は百日紅のの自然木がそのまま使われていて、つるつるになっていた。
入口玄関は道路拡張前は妻入りだったそうだが、今は平入になっていて、土間にはイタリア製(と聞いたと思うが)のレンガが敷かれていた。
82歳の女将が一人で切り盛りされている。流石に高齢になって料理が出せなくなり、宿泊予約時にコンビニででも弁当を買って来て下さいと何度も念を押された。
中々気風の良い女将で、テレビの取材を断ったこと、文化財指定を断ったこと、6人で来た宿泊客の一人を追い出したこと、明治時代の歪みのあるガラスを3万円で売らなかったこと、寝袋を持っているから土間で寝かせて欲しい客の話など、気風のよい女将らしい話を多く聞かせてもらった宿泊だった。
(2014.11.8宿泊)

主屋2階の街道に面した格子
 
泊った部屋

泊った部屋

泊った部屋の隣の部屋

泊った部屋の違い棚と刀置き台

2階一番奥の部屋にある隠し階段、直角に降りるようだった。

玄関は明治期のイタリア製(聞いたが忘れた)のレンガが敷かれていた。
 
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