弘前市
石場旅館
青森県弘前市元寺町55
電話 0172-32-9118

石場旅館の前景

石場旅館の夕景

石場旅館の入口

 弘前は津軽地方の政治・経済・文化の中心として発展した城下町である。
弘前城が本格的に築城されたのは、慶長15(1610)からで、城下は城郭を中心に城東・城北・城南・城西の4地域に分けられていた。
「石場旅館」がある城東の南側には寺町があり、門徒衆6・天台宗1・法華宗3・浄土宗5の寺があったが、慶安2年(1649)の大火で多くの寺院が焼失したので、城南にあった長勝寺を中心とした寺院街の南に、寺町の寺院群を移転し新寺町を形成し、元の場所を元寺町と呼び、商家が軒を連ねる町並が造られ、大坂屋・加賀屋・江戸屋などの商家や酒屋・大工など商工入り混じりの町並が形成された。元寺町の繁栄はそのまま明治期も続き今に至っている。
さて、「石場旅館」の創業は明治12年と云われている。津軽藩の武士だった創業者が小間物屋と旅籠を兼ねた店を始めたのが「石場旅館」の始りです。その創業時の建物が表から見える妻入りの建物で、それに続く奥の建物が明治22年の建築(この2棟が国の登録有形文化財に指定)。更にその奥に建つ建物が昭和45年に建てられた建物。
案内願ったのは、旅館業になってから4代目(先代からは9代目)というご主人。入口横の帳場(フロント)から出て来られての案内となった。通された部屋は明治22年建築の建物の2階の部屋だが、時代に合わせて改装されていて余り古さが感じられない。それよりも案内途中に通った、創業時の建物とその後の明治22年建築の建物とを繋ぐ廊下に太鼓橋があり、その横に土蔵の一部が見える。黒光りする木製の廊下と相俟って素晴ら空間を形成している。
横に屏風が飾ってあり、ご主人から説明を受けたが、屏風には余り関心が無いので内容は失念してしまったが、誰かからの寄贈品と仰っておられたと思う。その奥に皇族関係の宮様の宿泊場所になった表示看板が多く掲げられていた。格式高い旅館だったようで、第2次大戦の戦時中は「陸軍召集軍用旅館」となり、戦後は進駐軍の接収施設となった時代もあったようです。
滞在中応対願ったのはご主人一人だったが、3代目の女将も健在とのことだった。
客室は改装されてあまり古さを感じないが、釘隠しやガラス戸・天井の意匠、旧風呂場のガラス戸にはスリガラスで石場旅館のマーク迄刷り込まれていて、それなりの古さは随所に見られた。
(2018.07.04宿泊)
つ、
泊った部屋

泊った部屋から見た旅館前景部分

廊下の意匠、創業時の建物とその後に建てられた建物を繋ぐ太鼓橋の廊下

廊下階段の意匠

階段

宮様などの宿泊時の看板

他の客室(大広間)

他の客室(大広間)

他の客室

かっての風呂場の入口 ガラス扉に旅館の紋が

階段

釘隠し

釘隠し

ガラス窓の意匠

廊下天井の意匠

擦り減った階段

古く大きな柱時計(動いていた)


大広間横の楼下


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