阿保宿
お宿伊勢慶
三重県伊賀市阿保1417-4
電話 0595-52-0074

お宿伊勢慶の正面

お宿伊勢慶の夕景

お宿伊勢慶の入口

   大和と伊勢を結ぶ初瀬街道(伊勢表街道)が通る阿保宿は江戸中期以降、伊勢神宮への参詣が盛んになると、参詣客で街道筋は大いに繁栄した。当時の面影を残す旅籠建物の一つがこのお宿伊勢慶である。隣宿で青山峠手前の伊勢路宿に比して旅籠は少なく4軒ほどであったが、八知街道が分岐する交通上の要地であったことから商業地としても賑わっていたようだ。
創業は江戸時代後期で、今の当主が6代目というお宿伊勢慶は初瀬街道阿保宿の中心地にあった。
現在、初瀬街道筋で当時から続いて現役で営業している唯一の旅館だそうです。
玄関入口を入ると、改装されて当時の面影は残っていなかった。当主に聞くと、この位置にあった階段が祖父の時代にここの位置に、そして父の時代にまた別の位置に移動され、私が今のように改装したとの説明を受けた。その時代・時代に合わせての改装でしょう。でも、主だった骨組みは江戸期のままだそうです。唯一その骨組みが見られるのは、食堂として、また飲食店として使用されている一階の表に面した部屋の、柱時計が掛かった柱と梁が装飾として利用されているが、どうも重要な骨組のようだった。
間口は広くありませんが、奥行きが大変長い屋敷に複雑な状態で建つ旅館で、一泊したくらいでは、建物の配置・構造・間取りなど理解できるものでは無かったです。
多分、講札(○○伊勢講札)も多く掲げられておられただろうと思い聞いてみると、終戦直後に祖父が前の側溝の溝蓋にしたり、知り合いに上げたりして今は一枚も無いとのこと、惜しいことしたものだと仰っていました。
料理を売り物に営業に力を入れられている宿だけあって、低価格な宿泊代にも関わらず、思わぬ良い料理を出されてびっくりしたが、それ以上にびっくりしたのは、私の食事中ご夫婦で私との会話に加わって頂いたことです。つい私も調子に乗って、30分ほどで済ませる夕食が2時間半にもなったのに、付き合って頂いたのには恐縮いたしました。当日は私一人だけの宿泊客だったとしても、これ程の話し相手になって頂いたのは初めてで、宿泊者への対応の姿勢が最高のおもてなしであったと思いました。
(2015.2.24宿泊)

泊った部屋、街道筋の部屋と指定して泊った。見える据置型エアコンは使用しないで、
別に今風のエアコンがありそれを使いました。

かって使われていただろう長火鉢が階段上に置かれていた

一階の食堂ですが、掛時計の掛かっている柱やそれに続く梁(溝がある)が江戸時代の骨組

食器などを入れる水屋も飾られていた。

この階段は比較的新しいもの。今の経営者が改装した時のもの。

入口玄関ですが、何か木片に○○宿などと書かれていたが読めなかった。

滅多に旅籠宿の紹介に食事写真を出さないが、このお宿伊勢慶は宿泊費が安価なのに、
この様な料理が出てきてびっくりした。まだ後にも続く料理であった。
 
旅籠宿に泊る東日本に戻る