群馬県
上野村
今井家旅館
群馬県上野村乙母140-1
電話 0274-59-2009

今井家旅館の前景

今井家旅館の夕景

今井家旅館の入口

 今井家旅館のある上野村乙母は群馬県南西端、、神流川上流域、蛇行する神流川の左岸に位置する。
旅館の前の道は旧十石街道と呼ばれる道で、中山道新町宿から神流川に沿って進み、十石峠を越えて信州佐久地方に至る街道であった。
案内されたのは玄関入口の上の2階の右側の部屋。街道に面しているが、小さい庭があり土塀で囲われていた。泊った部屋は主屋の部分で築後400年経つと云うが、何度も改装されたのでしょう古さは全く残っていなかった。
古さの残っていたのは玄関に続くロビーの部分と、その横の応接室のような部分だった。天井の大きな黒い梁、天井、部屋を仕切る扉・いろいろな調度品・そして当家の仏壇(曹洞宗)まで私を楽しませてくれた。そしてそこの柱の一本に刀傷が残っている。明治17年に起こった秩父事件の争い時の刀傷とのことだった。
もう一か所古さが見られたのはトイレの天井で、太い黒い梁が剥き出し状態でみられた。
建物は築後400年経つというが、旅館の創業は明治中期で今で3代目とのこと。女将の話によると、もともと当家は、ここから南東へ約1km程の所にあった、中世の城の諸城の城主で、その後当地の名主を務めていたそうで、明治期になり旅館を創めたという。家に帰ってから調べると確かに平安末期の武将今井四郎兼平ゆかりの家系らしいですが、それ以上は判りません。古文書などは多数保存されているそうです。
旅館の切り盛りは女将一人で遣っておられるようで、車が置かれていて、翌朝男性が出かけられたので、ご主人ですかと女将に問うとそうだと返事が返ってきた。
帰ってからネット仲間に旅館の前景写真を見せると、蜘蛛が出そうと言う。確かにそんな雰囲気だが、旅館内は綺麗に清掃がなされていて、近々に玄関周りを改装しますと仰っていました。
(2019.7.10宿泊) 

泊った部屋

泊った部屋から見た外の景色

泊った部屋から見た外の景色

別の部屋

大広間

入口ロビーの天井

入口ロビーの天井

入口ロビー ここで食事を頂いた

ロビー横の部屋

大広間横の廊下

秩父事件時の刀傷


ロビーの装飾

トイレで見かけた古い構造材

廊下に甲冑が飾られていた。

大きな銅製のヤカンが

日航ジャンボ機墜落時の朝日新聞社の基地となった

ロビーの飾り

玄関の飾り

旅館の夕景

ロビーに在った仏壇
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