粟津温泉 | ||
法師 | ||
石川県小松市粟津町ワ46 電話 0761-65-1111 |
法師の入口玄関部分 |
玄関部分の夕景 |
入口の光景 |
遠く奈良時代には多くの僧が人跡未踏の高山に登り、激しい修行に耐え、仙人の術を得ようと懸命でした。そんな中の一人が泰澄大師であったのです。白山大権現のお告げにより粟津温泉を発見し、弟子の「雅亮法師」に一軒の湯治宿を建てさせて、その湯守りを命じたのが「法師」と呼ばれる宿の始りと言われ、それは1300年も前のことです。「法師」の歴史そのものが粟津温泉の歴史なのです。 湯治宿を営んだ雅亮法師の死後、養子の五郎が善五郎を名乗り2代目を継承しました。この名は代々継承され現在は46代目の当主法師善五郎氏が経営に当たっておられます。 「法師」の創業は718年と言うので約1300年前、創立は約200年前と言われています。 「法師」に着いて最初に驚くのは、高い吹き抜けの天井と太い木材の構造材で構成された広い空間である。鉄骨鉄筋コンクリート造りの巨大旅館では当たり前のようだが、「法師」ではそれが木材で構成されているのにはビックリする。そしてフロントでチェックインを済ますと、抹茶の接待が受けられます。綺麗な和庭園や池を見ながら、又池で泳ぐ鯉を見ながら抹茶を頂くのです。そして部屋に案内されると言う段取りです。 古い建物の部屋と指定しての宿泊ですので、丁度抹茶を頂いた「松風」という部屋の真上の2階の部屋でした。この「法師」は玄関棟と「松風」を含む古い木造建物と、延命閣という離れの建物が国の「登録有形文化財」に指定されているので、まさに文化財指定の部屋に泊ったことになります。 部屋は12畳の畳の部屋+8畳の洋間と洗面所・トイレと入口部分4畳程の部屋から成り、一人で泊まるのには大きすぎる部屋でした。 玄関棟や「松風」などを含む木造建築部と延命閣は国の「登録有形文化財」に指定されているが、玄関部分も泊った部屋や他の木造部分の部屋も改装や改修されていて、40~50年ほど前に建てられた様な感じで、100年ほど前に建てられたとの説明に納得できなかったが、玄関入口の上部天井部分の構造材と「松風」の部屋の内装や意匠は流石に「登録有形文化財」と思えた。 宿泊棟は大きな庭の周りを取り囲むように春の館・夏の館・秋の館と鉄筋コンクリートの建物が建ち並び、木造の登録有形文化財に指定されている新春の館と玄関棟、そして売店部が長い廊下で繋がって一周できるようになっている。 そして庭のほぼ中央には「登録有形文化財」指定の延命閣という建物があり貴賓室になっているそうだ。普段は非公開になっているので見られなかったのは残念。 古い建物は何時頃建ったのと聞いている時に、若女将が応対に出て来られ、毎朝6時45分から第46当主(社長)の講話があることを聞き出した。翌朝、当主の講話を聞く会に参加した。仏教の話とのことだったが、一宗派の仏教の話ではなく、一般的なことで、法師の歴史にも触れられたお話で、お寺のお坊さんの説教よりも判りやすく値打ちがあると思った。正直この講話を聞くだけで宿泊代はチャラになったと思いました。 玄関棟に揚がっている大きな額には「法壽長」と書かれている。京都清水寺貫主大西良慶氏の103歳の時の書である。法師46代当主が103歳にしてこれだけの書が書けるのかと感心されたおられた。 「法師」の前の道の真中に大きな杉の木が鎮座していて「黄門杉」という。寛永17年(1640)加賀3代藩主前田利常公が那谷寺参詣の途中に立ち寄られ、御手植えになった杉の木で、法師門前に在ったものだが、近年の道路拡張で法師も敷地を出したので、杉の木が道の真ん中になってしまったそうです。前田利常公に因んで「黄門杉」という。 「法師」のパンフレットには紹介されていないが、玄関棟横にかっての風呂場の建物が残っている。今は倉庫になっていて見せて貰えなかったが、外から見る限り中々趣のある建物で、整備して見せて貰えるようになったらと思う。 (2017.4.2宿泊) |
泊まった部屋、登録有形文化財に指定されている部屋だった。 |
泊まった部屋の夜 |
泊まった部屋から見た庭 |
宿に着くと庭を見ながら抹茶の接待を受ける松風の部屋(登録有形文化財指定の部屋) |
抹茶の接待を受ける部屋 |
抹茶接待を受ける部屋 |
国の登録有形文化財に指定されている1階の部屋 |
玄関土間の天井部分、この玄関棟も国の登録有形文化財指定 |
大きな額は旧京都清水寺貫主 大西良慶さんが103歳のときに書かれた書、法壽長の文字が |
法師の玄関横にある元の風呂場の建物 |
抹茶接待を受ける部屋「松風」の「釘隠し」 |
玄関入口の夕景 |
庭の中央部にある延命閣(非公開) |
法師前の「黄門杉」 かっては法師の敷地内にあったが、道路拡張でこのような姿に。 |