熱海市
福島屋旅館
静岡県熱海市銀座町14-24
 電話 0557-81-2105

福島屋旅館の前景

福島屋旅館の夕景

福島屋旅館の入口

 熱海温泉は静岡県熱海市にある有名な温泉で、日本三大温泉の一つとも云われる。
慶長9年(1604)に徳川家康が7日間湯治で逗留した記録が残っていて、それ以来徳川家ご用達の名湯として名を馳せ、熱海の湯を江戸城に献上させる「御汲湯」を行わせた。
明治以降は文人墨客が多く訪れ、多くの作品が熱海を舞台に描かれた。代表的なものに尾崎紅葉の「金色夜叉」があり、熱海の名が全国的に知られるようになった。
昭和30年代には新婚旅行のメッカとなり、高度成長期には団体客が押し寄せたが、新幹線の開通や遠方の観光地に向かうようになったことも重なり、個人客や団体客も減少し休館する旅館が相次いで、熱海の町も寂れたが、今は温泉ブームで徐々に家族客が増加しつつある。
さて、宿泊した福島屋旅館ですが、福島屋の先祖は古くから熱海に住み、明治初期に福島屋として宿屋を
はじめました。
明治30年代発行の熱海地図に載っている宿屋で、当時の屋号と経営者の名字が一致して宿屋として残っているのは、古屋旅館(内田)と福島屋(松尾)の2軒になってしまったとのこと。
当初の頃の福島屋は木造2階建てだったが、大正13~14年に木造3階建てに建て替えられました。当時の建物は掲載した写真(下から2枚目)。
その建物は昭和19年の福島屋旅館近くから出火した本町大火で焼失(約80戸)してしまった。戦争中のことであり辺り一面は焼野原のまま戦後を迎えました。
戦後になり福島屋では少しずつ増築を繰り返し再建されていったのです。昭和25年に熱海大火があり、熱海市では木造建築のモルタル化を進めたため、福島屋でも増築時に表のモルタル化を行い、その後も改造改築を進めて今の建物になったのです。そして昭和32~33年頃の福島屋の写真をみると、モルタル化された建物が今と殆ど同じ状態で写っている。
泊ったのは頼んでいた通り表の道に面した一番左の部屋(入口の左上の部屋)であった。旅館内は理解ができない程複雑な構造になっていて、増築改造が繰り返されたことが判る。
構造の基本は表の道に面した部屋に入る廊下と、奥に続く部屋に入る廊下が、玄関奥で交差して二つの階段で上ることができる様になっている。(当然奥にも階段がある)
建築時期が時期だから、高額な費用の掛かる材料や意匠などは見当たらないで、湯治場の温泉宿のように思える旅館だった。
ご主人が接客・調理・配膳に当たられているようであったが、男女の子どもさんがおられたので、料理などは分担されているのかも知れない。
尚、この福島屋旅館では、入湯だけの客も受け入れられていて、入れ替わり立ち代わり入湯客が引っ切り無しに温泉に入るために訪れていた。
福島屋旅館の右前に熱海温泉七湯の一つ「風呂の湯」の源泉があり、温泉が湧き出していた。
(2016.04.24宿泊)

泊った部屋

泊った部屋

階段部分

別の部屋

奥に続く廊下

玄関ロビーからの階段

複雑な構造で階段で、2ヶ所の階段が見える

階段上から見た玄関ロビー

泊った部屋から見た景色

昭和初期の福島旅館

夜間の福島旅館の入口
 
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