伊勢市
麻野館
三重県伊勢市二見町茶屋537-10
電話 0596-43-2014

麻野館の前景

麻野館の夕景

麻野館の入口

  二見は伊勢神宮と興玉神社・夫婦岩を背後にもった地で、これらへの参拝者で栄えたところ。
江戸時代は江村と云い、寛永20年(1643)の村の家数114軒・人数524となっている。天保初年頃(1830)の家数は104軒で、産物に良質の松材があった。
二見浦・夫婦岩を賞し、興玉神社に詣でる人々が増えるにつれ、当地に茶屋や旅籠屋が栄え、江村のうち茶屋や旅籠屋があった辺りを茶屋と云うようになったようだ。
二見浦の海岸に、日本最初の海水浴場との案内板が立っていた。日本最初かどうかは兎も角、二見浦は古くから参詣者・神宮の神主・住民らが潮水に浴して心身を清める「みそぎ場」であった。明治になって海水に浴することが健康に適していることが知られ、冷浴場を立石浜に定められた。さらに隣地に温浴場が設けられ、浴客が増えてきたので松林を開き旅館が多く建てられた。明治39年には正式に海水浴場として指定され、観光地二見の基礎となり、参宮線の開通により更に来遊者が多くなり海水浴場としても発展していった。
その二見浦海岸の松林に沿って「麻野館」がある。明治26年創業の麻野館は創建当時の面影を色濃く残した、落ち着いた風情を感じさせる純和風木造3階建てと2階建てが組み合わさった大きな旅館である。
創建当時の建物がそのまま残っている。現代に合わせて改装や改造はされているが、古き良き日本家屋の特徴が良く残っている。
一泊の宿泊位では、旅館の建物構造が理解できない程複雑な構造になっている。それも増築を繰り返した結果でなく、創建当初からこの建物構造になっていたようだ。
建物内の意匠や装飾も手が込んだものが多く、職人さんの遊び心が良く表現されていた。中でもびっくりしたのは階段の踊り場で、欅の一枚ものが無造作に敷かれていたことだ。
旅館の正面入り口ですが、最初は今の入口の左側の破風のある入口だったが、小学生や中学生の団体客が増えて、到着時の対応ができなくなり、入口を右側に移して、土間と上がり框を広くして今の入口になった。
旅館内の客室は大きく分けて、個人客用と団体客用に分かれている。巨大な大広間をはじめとして、団体客用は部屋の間仕切りを入れたり外したりして使用するそうだ。
玄関を入ると、お雛様の段飾りが出迎えてくれた。通された部屋は海岸に沿った2階の部屋で、控えの間のある8畳の間だった。案内して頂いたのはご主人で、大女将は入口ロビーでの対応だった。食事は一階の別の和室であって、大きな部屋で一人ポツンと頂いたのは哀れというか寂しかった。
夕食後に旅館の付近を歩いてみたが、冬だったからかも知れないが、かっては団体で押し寄せていた小・中学生の団体も無いのか、旅館街はひっそりと静まり返っていた。
(2016.2.8宿泊)

泊った部屋

海側3階の部屋

部屋と縁側を仕切る障子の上部にはこのような装飾が

欄間の彫刻

海側3階の部屋

巨大な大広間

複雑な構造の旅館建物(海岸沿いの3階建て建物から玄関入口棟を見る)

泊った部屋からの風景(松林の奥は海)

階段部分

階段の踊り場には欅の一枚ものの板が
 
遊び心の装飾が各所にある
 
麻野館を海岸から見る
 
海岸から見た夕景
 
麻野館の昔の入口
 
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