鈴鹿市神戸宿 | ||
油伊旅館 | ||
三重県鈴鹿市神戸2-10-55 電話 059-382-0451 |
油伊旅館の全景 |
油伊旅館の夕景 |
玄関入口、階段上部の梁の削り取りに注目 |
鈴鹿市神戸は陣屋町・宿場町として栄えたところだ。 神戸は神戸藩の陣屋町、また伊勢参宮街道の宿場町としても発展した。陣屋町は十日市町(現神戸2丁目)が中核となり本陣や問屋もここに集中した。幕末には旅籠は19軒もあったようだ。 伊勢参宮街道の宿入口は常盤町(現神戸8丁目)で、木戸と番所が設けられていた。旅籠には早くから飯盛り女を置くことを許されていて、江戸初期には既に飯盛り女を置いた茶屋が8軒もあったそうだ。 今でも神戸2丁目・神戸8丁目の旧伊勢参宮街道沿いには古い町並が展開している。 「油伊旅館」は神戸2丁目の旧伊勢街道の「札の辻」で街道が折れ曲がった所に在り、この辺りは宿場町当時は宿の中心だったところだ。 さて「油伊旅館」だが、築150年ほど経つ建物と云われている。詳しい建築年は不明だが、建物に向かって右側の棟は江戸末期~明治初期頃の建築、左側の棟はその少し後での建築と女将が話していた。 創業などは不明だそうだが、「札の辻」に江戸末期に建った旅館。普通に考えても江戸期のおかげ参りの大集団が押し寄せていたころには旅籠として営業していたものと想像できる。飯盛り女を置いていた宿かも知れない。 建物内部は大幅な改造がされておらず、建築当時の様子がみられる建物だった。一番気に入ったのは玄関入口土間から2階へ上る階段の上部の梁。通常古い建物のままだと階段の上には梁があり、階段を上り下りする時に頭を打つのだが、この階段では梁を半分ほど削り落として、頭を打たないようになっていた。建物の強度などは無視したのでしょうが、微笑ましく思えた。 部屋の壁や天井などはクロスになっていたり、ボード貼りになっていたりしたが、建物全体の大きな改築や改装をされておられないので、昔の状態を見られる建物だったが、それでも今の客を受け入れるために風呂やトイレ・洗面所も少しは現代風??になっていた。 今、この宿は高齢の大女将一人で切り盛りされていた。当然食事は出来そうになく、ビールを注文しても近くに売ってあるから自分で買って来てとのことだった。 何時廃業されても不思議でない旅館ですが、孫が旅館を継ぐと云ってくれているのでと仰っていたのが少しの救いと思った宿泊だった。 (2015.08.09宿泊) |
泊った部屋、二間続きの部屋を改造されていた。 |
夕景 |
玄関土間から階段を上がった所。ここから各部屋に廊下で繋がっている |
旧伊勢街道に面した部屋 |
廊下の様子 |
廊下の端の階段。何処に繋がっているのだろう。 多分女将の居る部屋の近くと思うが |
旧伊勢街道に面した部屋の床の間 |